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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)6653号 判決 1984年7月02日

原告

鱸久子

右訴訟代理人弁護士

尾崎陞

鍛治利秀

藤谷正志

金丸弘司

堀野紀

野村和造

被告

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

小田機

可部丈雄

小又英男

近政雄

代田清明

原山昌士

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一二二八万二六三〇円及びこれに対する昭和四八年九月五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言の申立。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の経歴

原告(大正一五年一一月五日生)は、昭和二二年一〇月鶴岡税務署に採用されて以来、主に関東・信越国税局管内の税務署に勤務し、管理事務等の業務に従事していたものであるが、昭和四二年七月一九日から川口税務署管理課管理第一係に勤務し、同係において加算機業務に従事し、同四三年七月一〇日に同課管理第二係に配置換となり、徴収カード担当の業務に従事した後、同四四年七月一七日以降、西川口税務署に転勤し、現在に至っている。

2  原告発病当時の管理業務(略)

3  確定申告期の管理業務(略)

4  配置換後の業務(略)

5  原告の罹病経過(略)

6  職業性頸肩腕障害(略)

7  業務起因性

(一) ところで、職業病における因果関係(業務起因性)については次のとおり考えるべきである。

原告は、本件疾病に罹患した当時、川口税務署管理課において前記2のような内容の業務に従事しており、右業務により右腕等の上肢を酷使せざるを得ない状況に置かれていた。したがって、右業務が、本件疾病の発症原因に相応する職務内容であって、本件疾病の発症と右業務は密接な関連を有している。

右の事実が明らかである以上、公務と本件疾病の因果関係は推定されるものというべきである。職業病における因果関係について、立証の責務を専ら原告のような罹病者に負担せしめることは、対立当事者間の関係を考慮すれば、公平の理念にもとる。いわゆる職業病に罹患している事実が歴然としている状況の下では、その業務起因性は推定されるものとして取扱われるべきである。

なお、頸肩腕症候群においては、業務以外の原因諸疾患の有無にかかわりなく、病像経過、作業経歴、治療歴と病像経過の関係を検討し、その発症に十分な要因が認められる以上、業務起因性が認められるというべきである。

即ち、本件の場合、国家公務員災害補償法に基づく人事院規則一六―〇に照らすと、同規則別表第一の第三項は、「身体に過度の負担のかかる作業態様の業務に従事したため生じた次に掲げる疾病及びこれらに付随する疾病」として「4 せん孔、タイプ、電話交換、電信等の業務その他上肢に過度の負担のかかる業務に従事したため生じた手指のけいれん、手指、前腕のけん、けんしょう若しくは、けん周囲の炎症又は頸肩腕症候群」と規定しており、原告において上肢に過度の負担がかかる業務に従事したこと及び原告が頸肩腕症候群に罹患したことが明らかであるので、両者の因果関係は推定されるべきである。

(二) 仮に、右(一)の見解をとり得ないとしても、本件疾病の業務起因性は、次のとおり、原告の作業内容と罹病経過に照らせば明白である。

(1) 原告は、前記1及び5(一)のとおり昭和四二年七月に加算機業務に就くまで、全くの健康体であった。

(2) 原告の症状は、必ず職務の繁忙期の後に現われ、進行・悪化している。即ち、最初に症状の現われた昭和四二年八月は、管理事務の三大繁忙期の一つに当たる申告所得税第一期分を中心とした事務処理の後であり、続いて罹患が確認された一二月は、同じく三大繁忙期の一つに当たる申告所得税第二期分を処理した後であった。決定的症状となった昭和四三年前半期は最大の繁忙期を経過した後であった。その後も、繁忙期の後には必ず症状の悪化を繰返していた。

(3) 原告は、昭和四二年七月に一方的に川口税務署に配置換されるまで、加算機担当者としての経験はなく、当時、既に四〇歳を過ぎていた。しかも、原告に対する加算機業務についての指導訓練は全くなかった。

(4) 川口税務署の加算機担当者は、昭和三九年から四〇年四月まで三名であったが、事務量が増加しているにもかかわらず、二名に減らされていた。しかも、原告が右(3)のように赴任したときは、他の一名は産休中であり、加算機担当者は、原告一名であった。

(5) 集計事務の報告期限が厳格に定められているので、仕事が遅れ気味のときには、焦燥感を伴う精神的負担は、極めて大きい。

(6) 原告は、前記2(二)のような加算機専担者としての業務に従事していたが、打鍵作業時には、右腕を宙に浮かせた状態で、左手は原資料を捲りつつ行なうという姿勢を長時間とらなければならなかった。

原告の使用していた加算機格納机は、第一に、加算機の鍵を机と同一平面にするためには加算機の下に台を入れて調整しなければならない構造になっており、第二に、加算機を右机に格納すると記入などの仕事をする机部分が狭くなり、著しく作業が困難となるもので、第三に、右机の下に原告のひざが這入らないため、打鍵時は常時無理な姿勢を保たねばならなかった。

(7) 原告が川口税務署に配置されたのは、本人の希望を無視した配転によるもので、転勤直後の初めての人間関係にはいることや通勤方法の相違などから生ずる疲労が増大する状況にあった。その下で、原告は上司から嫌がらせを受け、前記(3)のとおりこれまで未経験の集計専担の業務を殆ど指導研修を受けることなく押しつけられた。

(8) 原告が従事していた加算機専担業務にあっては、検算、照合等において、数字の誤認が起こり易く、再度打鍵を行なうことが必要となってくる。従って打直しを防止するには、予め、慎重かつ正確な打鍵をすることが必然的に要求され、指先への神経集中は異常な程強くなり、その疲労感は強烈であり、加えて、打鍵作業時の不自然な姿勢のため、打鍵数に現われない精神的疲労が原告に加えられていた。

しかも、資料の中に規格違いのものが混っており、一枚ずつ捲ることにも、左手、腕の筋負担、神経負担があった。

(9) 川口税務署管理課内での作業の性格上、窓を開けての仕事は事務に支障をきたし、夏は扇風機すら使用できなかったが、原告が執務していた位置は、管理課の中では最も窓から遠く、隣接課との間は、書類箱を二段積み重ねて間仕切りにしていたため、全く通風の悪い状態にあった。

原告の作業机は、署長室・副署長室・総務課・食堂・更衣室等の通路の傍に位置しているため、常時人が通行し、加算機業務にとっては最も不向きな環境にあった。

(10) 加算機打鍵中に、来客、電話の応対をしなければならなかった。

(11) 納付書について三枚複写をボールペンで行ない、また、ガリ版筆耕といった、指、腕が痛み肩が凝る作業もあった。

(12) 昭和四三年七月の配置換以降も、前記4のとおり、そろばん使用、ボールペン複写作業により右上肢への作業負担は、減少しなかったものである。西川口税務署へ転勤の後も、ゴム印押捺、ボールペン複写作業を継続した。

(13) 原告と同様の症状を訴える者は、川口税務署内において、原告のほか相当数おり、いずれも加算機業務あるいはポールペン作業により発症した者である。

8  被告の責任

(一) 安全配慮義務違反に基づく責任

(1) 国の安全衛生義務

国は、国家公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示の下に遂行する公務の管理に当たって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解すべきであり、右の安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものである(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決民集二九巻二号一四三頁)。

(2) しかして、被告は、公務員に対し次のイないしニのような具体的な義務を負う。

イ 安全衛生注意義務(調査点検義務)

被告は、健康診断、作業環境測定、労働者の意見聴取等の結果から、業務が労働者に生理的影響を与えていないかを調査する義務がある。

特に医学的警告が発せられたり、当該公務員が心身の異常を訴えているような場合は、右注意義務は、極めて高度なものとなり、また、公務員を全く新しい作業につけたり、作業方法について重大な変更を加える場合も同様である。

ロ 労働条件改善義務

被告は、右イの調査に基づき、有害要因・危険性を除去すべく、作業方法、作業量、作業密度、職場環境、作業機器等の改善をなすべき義務がある。

ハ 疾病予防義務

被告は、個々の公務員について健康診断等によりその健康状態を把握し、健康障害が業務により起きたか否かを問わず、その健康状態に対して適切な措置をとるべき義務があり、職務により、その健康障害の回復を妨げたり増悪させることのないよう配慮すべき義務を負う。

特に配置転換等にあっては、当該公務員の健康状態の他、年齢、適応力、経験等も考慮されねばならない。

ニ 右イないしロの義務が十分つくされるような条件を具体的に整備する必要がある。即ち、安全衛生管理が実効性をもって行なわれる体制を確立するとともに、公務員をやむをえず一定の危険性、有害性のある作業に従事させる場合、危険が具体化したとき有効にこれを回避できるように、その危険性、有害性についての十分な教育を公務員に対してなす義務があり、また、当該公務員こそが職場の実態、有害作用の結果につき最もよく知っているのであるから、当該公務員は、安全衛生につき意見を述べ、改善を求める当然の権利があり、被告はこれを尊重し聴取すべき義務を負っている。

(3) 国家公務員の安全衛生については、国家公務員法に基づき、人事院規則によってその基準が設定されており、国家公務員のストライキ権及び労働協約締結権が制限されている点からも、右被告の義務履行についての人事院の監督・指導責任は重大である。従って、原告が加算機業務に配置換された昭和四二年当時、既に、頸腕症候群が様々な業種について社会問題化していたのであるから、学会の指摘に注意し、職場調査、作業者の意見聴取を行ない、十分な基準を設定し、かつ、現場における健康管理体制の監督を行なうべきであった。人事院事務総長通知(昭和四四年一二月二四日付)「キーパンチャー等の手指作業に基づく疾病に関する公務上の災害の認定基準について」の説明中の「一日あたり四万タッチ以上、二、三ケ月続けて打った場合」との基準は、具体的作業に応じたものでなく、作業密度、環境等を一切捨象したものであり、これ自体、不十分である。

(4) 人事院規則一〇―四によれば、国税庁は、所属の職員の健康の保持増進及び安全の確保に必要な措置を講じなければならず、更に、保健・安全保持を図るため健康管理規程を作成し、職員に周知させねばならないとされている。しかし、右により設けられた国税庁の健康管理規程に基づく安全衛生管理体制は、税務署においては、責任の分担、所在が明示されず、右規程の目的に沿った担当者の権限も規定されていなかった。更に、安全衛生に必要な知識・経験等についての担当者の資格について労働安全衛生法等にあるような規定も存在しない。運用においても、専ら、人員削減と事務処理の能率化を主眼とし職員の健康管理は無視されていた。

(5) 被告は、本件において、次のような具体的な義務違反行為をなした。

イ 原告の業種変更にあたって、適性、年齢、経験を無視した。

ロ 業務訓練、業務の有害性についての教育及び作業上の注意を与えることを懈怠した。

ハ 欠員を補充しないまま過重な作業密度・量による就労を強制した。

ニ 作業環境を整備しなかった。

ホ 健康診断を実施せず、あるいは実施が不十分であった。

へ 原告の前記症状についての愁訴を無視して就労を強制した。

ト 原告の主治医中村医師の意見を無視した。

チ 指定医(東京大学医学部付属病院。以下「東大病院」という)受診を強制した。

リ 別病名によって業務上災害であることを否認し精神的に圧迫した。即ち、関東信越国税局診療所の医師天神宏(以下「天神医師」という)は、東大病院での診断結果を歪曲し、原告に対し、レイノー病であるとかエノケンと同じ病気である旨説明した。

ヌ 不適当な配置換を行なった。即ち、前記4のとおり、ボールペン、そろばんの使用、カード捲りなど腕、肩に負担のかかる作業に従事させた。

(6) 右のような被告の義務違反行為は、昭和三七年から国税庁により実施された管理業務の合理化と電気加算機の導入の過程で、被告が職員の健康の維持増進に対する配慮を欠いていたことによるものである。

(7) 以上のとおり、被告は、原告に対して負っていた安全配慮義務に違反したため、原告は前記7のとおり、その業務によって本件疾病に罹患したものである。

(二) 不法行為、国家賠償法に基づく責任

(1) 被告は、右(一)の(2)のとおりの注意義務を負っているところ、右(一)の(5)のとおり、これに違反する行為を行ない、これにより原告の本件疾病が生じたのであるから、被告には、不法行為、又は国家賠償法一条に基づいて原告の損害を賠償すべき責任がある。

(2) 更に、被告は、右(1)以外にも次のような行為について不法行為、国家賠償法一条に基づく損害賠償責任を負うべきである。即ち、国家公務員の公務上の災害に対する補償を迅速かつ公正に行なうことを目的として国家公務員災害補償法(以下、「補償法」という)が制定され、人事院及び人事院が指定する実施機関は、同法による補償を実施する責任を負うところ(第三条、人事院規則一六―〇)、本件においては、国税庁が、昭和四六年六月八日、原告の前記症状について公務外認定を行ない、昭和四八年三月九日、人事院は、右国税庁の認定に対して原告のなした災害補償審査申立を棄却する判定を行なった。右認定及び判定は、公務上災害を公務外と認定するという内容的に違法なものであるばかりでなく、準司法的作用に要求される適正手続を履践せずになされたという点で、実体面、手続面の両面において原告の権利を違法に侵害したものである。

本件においては、補償手続を行なうについて次のような手続的な違法がある。

イ 原告が、昭和四二年一二月一四日、前記加算機業務により「頸腕症候群・背腰痛」に罹患した旨を川口税務署に申出たがこれを無視し、その後も同署総務課長に対し補償法の適用を申出たにもかかわらず、同様無視してきた。結局、被告は、昭和四五年八月二一日、原告が西川口税務署長宛に「国家公務員災害補償法適用申請書」及びその頃小豆沢病院勤務医であった前記中村医師作成にかかる昭和四五年七月一二日付意見書を提出したときに、初めてこれを補償法適用申請として扱ったものであるが、昭和四四年一二月二四日に前記人事院事務総長通知がなされるまで、原告の症状について公務上外の認定基準を設定せず、原告の主治医である前記中村医師の診断を無視し、指導区分の決定に必要であるとして、東大病院で診察を受けるよう強制し、公務上外認定に際して右東大病院における診断結果を資料として用いていることなどに照らせば、被告が原告の適用申請を無視してきたことは明らかである。

ロ 国税庁及び人事院のなす、認定、判定行為は、被告と被災職員(対立当事者)間の争訟の裁決の性質を有する準司法作用であるから、事案の争点について当事者に主張・立証を促し、攻撃防禦の方法を尽さしめる手続が要求されるにもかかわらず、そのような手続は行われなかった。

ハ 原告の主治医である前記中村医師の診断を無視し、前記東大病院での受診を強制したことにより、原告の医師選択の自由を侵害した。

ニ 被告は、国税庁のなした公務外認定の理由を、原告に開示しなかった。

ホ 災害補償審査委員会は、補償法第二七条による立入検査をなすに当たり、申立人である原告に何ら事前の連絡をとらず、また、中村医師への質問も不十分であった。

(三) まとめ

従って、被告は、原告の被った後記損害について、右(一)及び(二)のとおり、原告に対し賠償する義務を負うものである。

9  損害

(一) 財産上の損害

(1) 原告は、本件公務上の疾病により休業を余儀なくされたが、被告は原告の休業を理由に、昭和四四年一〇月一日から昭和四八年六月三〇日までの間、昇給を遅延せしめ、期末手当をカットした。

右による損害額は合計金七万四八四〇円である。

(2) 原告は、昭和四二年一二月一四日から昭和四八年六月一九日まで、本件疾病治療のため北池袋診療所、小豆沢病院等に通院し、治療費金一六万三九九〇円、交通費金八万六〇〇〇円以上合計金二四万九九九〇円を支出した。

(3) 原告は、本件疾病治療のため、温泉・サウナ療養、マッサージ治療、シンノオル治療、漢方薬の服用、温灸器等による治療を施したが、そのため、温泉・サウナ療養費として金一八万五〇〇〇円、マッサージ治療、シンノオル治療、漢方薬の費用として金三万六五〇〇円、温灸器・マッサージ器・体操器購入費として金一万六三〇〇円以上合計金二三万七八〇〇円を支出した。

(4) 原告の本件疾病は、日常生活に重大な支障をきたすものである。即ち、原告は、自宅において食事の仕度、布団の上げ下ろしすらできなくなり、食事も外食を余儀なくされ、原告一人では、日常生活が営めなくなった。従って、昭和四三年秋、四四年冬から四五年春、四六年春と、原告の母が原告宅に滞在し、原告の日常生活の世話をしてくれた。原告は、右の外食費として、昭和四三年から四八年六月までの間、合計金三〇万円を、母親の右滞在費及びその交通費として合計金三七万円、以上合計金六七万円を支出した。

(5) 本件疾病の回復には、機能訓練が有効であるが、原告は、昭和四四年九月、四五年四月、九月に山歩きの機能訓練をなし、合計金五万円を支出した。

(6) 以上(1)ないし(5)の合計は、金一二八万二六三〇円である。

(二) 慰謝料

原告は、発病以来、本件疾病により多大な精神的・肉体的苦痛を味わった。しかも、その原因は昭和四二年七月から従事した加算機専担業務であるにもかかわらず、被告はこれを認めようとせず、原告の業務軽減、業務転換の申入れを拒否して原告の本件疾病を増悪せしめたものである。更に、本件疾病に関する公務上外認定の審査手続も不当違法なものであって、原告が受けた精神的苦痛は、計りしれないものである。従って、原告の受けた苦痛に対する慰謝料としては金一〇〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告は、本件訴訟の提起追行を原告訴訟代理人らに委任したが、弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

(四) 以上のとおり損害額は合計一二二八万二六三〇円である。

10  結論

よって原告は、被告に対し、安全配慮義務違反あるいは、不法行為、国家賠償法一条に基づく損害賠償として金一二二八万二六三〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四八年九月五日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否(略)

三  被告の主張

1  業務起因性の意味

業務上の疾病というためには、業務と当該疾病との間に相当因果関係(業務起因性)がなければならない。そして、相当因果関係があるというためには、業務が疾病の殆ど唯一の原因であることを要するものではなく、他に競合する原因があっても、その業務が相対的に有力な原因であれば足りるが、業務がその疾病の単なる条件、即ち、その引き金になったにすぎない場合には、両者の間の因果関係は否定される。したがって、業務が当該疾病の発症の原因の一部となっている場合であっても、他により有力な原因が認められる場合には、当該疾病は、業務上の疾病とはなり得ない。

2  頸肩腕症候群について

いわゆる頸肩腕症候群は、単一の疾患名ではなく、一種の症状名で、臨床的には頸椎及びその周辺の軟部組織の老化、退行変性、構築学的な弱点を基盤として、頸、肩、腕、手指などの連鎖的疼痛、しびれ、脱力感、冷感を主訴とする一群の症状群の総称である。このような症状群を発症する原因には、変形性頸椎症(頸椎の加齢的変形、骨棘形成)、頸椎椎間板変性(椎間板の加齢的変化による狭小化等)、胸郭出口症候群等原因がはっきり決定できるものも含まれている。

右のように原因を決定できるものは、その原因に応じた治療等がなされるべきであるので、これらを除いたものを「狭義の頸肩腕症候群」(以下、これを「頸肩腕症候群」という)と称するのが妥当である。業務起因性の点からも、変形性頸椎症、頸椎椎間板変性、胸郭出口症候群等が、原告の従事していたような業務に起因して発症することはあり得ない。

頸肩腕症候群は、必ずしも上肢をことさら酷使する職種の人にだけ見られるのではなく、家庭の主婦等、特に上肢反復作業に従事しない人にも多く見られるのであって、過重な負荷という因子以外の要素も発症要因として考えなければならない。頸は、常に重い頭を乗せているとともに、可動域が非常に広い上、椎間板には二〇歳代には早くも老化現象が始まるのであって、変形性頸椎症あるいは頸椎椎間板変性という段階に達しない程度の老化現象が生じ、これが主因となり、他の複雑な要因がからみ合って、頸肩腕症候群を発症するものと考えられる。

背腰痛についても、基本的には同じように考えられる。

従って、頸肩腕症候群であるか否かの診断に当たっては、他の類似疾病との鑑別診断が重要である。そのためには種々の検査が必要であるが、なかんずく、六方向の頸部レントゲン写真が不可欠である。

3  原告の訴える症状の原因

原告の訴える症状の原因は、頸椎椎間板の変性とみるべきである。第五頸椎に後棘が形成されており、そのために第五、第六頸椎間の神経が刺激されると、後棘がそれほど大きくならない場合においても、腕に症状が現われるのである。

原告は、大正一五年一一月五日生まれで、本件症状が発症したという頃には、既に四〇歳を超えていたこと、昭和四三年七月に加算機業務から離れた後にも治療を続けているのに、長期間にわたり愁訴が軽快していないことに照らしても、原告の訴える症状が単なる筋肉の慢性疲労によるものではなく、頸椎椎間板の変性が主因であることを示している。

4  原告の職務内容について

原告の訴える症状が、業務に起因するものでないことは、原告の従事していた業務内容を検討すれば一層明らかである。

即ち、原告が加算機業務に従事していた期間中の原告の打鍵数を検討すると、別紙(略)(二)のとおり(但し、各月分上欄に修正後の記載のある分については、修正後の分を主張する。)となる。なお、一括整理の場合の完納分の集計(集計5)については、不要であるが、時に、右集計がなされることがあることを考慮し、事務量に含めて計算してある。

昭和四二年七月から同四三年六月までの原告の出勤日数及び加算機事務従事日数は次のとおりである。

出動日数 加算機事務従事日数

昭和四二年七月 六・五日 四日

八月 二一・五日 一三日

九月 一七・五日 一〇日

一〇月 一六日 一〇日

一一月 一八日 一一日

一二月 一五・五日 九日

昭和四三年一月 一五・五日 九日

二月 二二・五日 一四日

三月 二一日 一三日

四月 一六日 一〇日

五月 二〇・五日 一二日

六月 九日 五日

計 一九九・五日 一二〇日

また、原告の計算スピードは、一分間一八〇ストロークと推定される。

原告は加算機業務以外にも事務を担当していたが、事務量はそれほど多いものではなかった。

原告の従事した加算機業務は、加算機の操作方法、集計事務の態様、事務量からみて、特別な知識、技能及び適性を必要とするものではなく、また、集計事務の処理手順上、打鍵作業の間に帳票の分類、整理及び作成または記入、件数の把握、集計結果の照合、補正等の打鍵しない作業が介在すること、更に、打鍵数の面からも昭和四三年三月一七日付の「キーパシチャー障害の防止について(通知)」の作業管理基準、即ち、一日当たり四万タッチ、作業時間一日三〇〇分以内という基準には、はるかに及ばないものであって、原告の川口税務署における業務が原告の訴える症状の原因をなしたものとは考えられない。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  変形性頸椎症による症状であるとの主張について

(一) 原告が変形性頸椎症に罹患しているという事実は否認する。

(二) 被告のような頸肩腕症候群についての考え方によるとすれば、昭和三〇年代以降、従来の整形外科学の立場からは理解しがたい頸肩腕症候群が多発したことを説明できない。昭和三〇年代以降の産業構造の変化、技術革新に伴う合理化の進行、作業態様の変化が頸肩腕症候群多発の背景にあるという事実を被告は直視していない。

(三) 他の病名で除外できる原因疾患を絶対視し、広義、狭義の頸肩腕症候群を峻別する考え方にも重大な誤りがある。

第一に、病名のつけられる原因疾患と競合する、業務に起因する疾患があり得るということである。出現した症状に対する寄与の割合は必ずしも明らかにならないが、業務に起因する疾患について、業務内容に即した検証によって、その寄与度を推測することは可能である。本件については、少なくとも変形性頸椎症のみによって発症したものと断定するだけの合理的根拠はない。

第二に、変形性頸椎症自体が、業務と無関係ではないということである。頸椎の変形という最も明確な器質的所見でさえ、労働条件、生活条件、過労、栄養不良、損傷の結果生ずるのであり、また、この変形自体、疲労を起こし易くするのである。

(四) 仮に、加齢による退行的変性という危険要因を強調するのであれば、そのような身体の退行的変性に応じて健康を維持するために許される限界的負荷量も、年齢とともに減少するのであって、それを超える負荷が業務によって与えられた場合であれば、年齢から一般的に予測し得る限界量を超える負荷を与えたことと結果発生との間に法的因果関係は認められるのである。

2  原告の職務内容、ことに打鍵数について

原告の本件疾病の業務起因性の判断については、請求原因7のとおり、打鍵数以外の諸要因を考慮すべきであるが、打鍵数自体、被告主張の数倍に及んでいる。

即ち、被告は、専ら事務処理要領において定められている業務を基礎として打鍵数を算出しているのであるが、業務の実態は、再三の見直し、検算が必要だったのである。しかも、加算機業務は専担制であったので、仮に、専担者以外の者が打鍵した事実があったとしても、それは、専担者が打ち切ることのできない場合に、補助的に支えたものである。

第三証拠

本件記録中の証拠関係等目録記載のとおり。

理由

一  原告の経歴

原告の経歴(請求原因1の事実)は当事者間に争いがない。

二  原告の罹病経過

原告の罹病経過(請求原因5の事実)について検討するに、(証拠略)を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

1  原告は、昭和四二年七月二四日から、川口税務署管理課管理第一係において、加算機担当業務に従事するようになったが、同年八月下旬頃、右腕が重く感じられるようになり、その治療のため昼休みに、二回ほどマッサージ師のところに通った。同年九月下旬には、右腕が重く、だるく感じられるようになったが、頸、肩、腰には痛みはなく、右腕の症状についても、一晩寝れば翌日には治る程度のものだった。ところが、同年一一月頃からは、右腕が重く、痛みを感じるようになり、退庁時には左手で右腕を支えて帰るようになった。腕が重い感じが一晩寝てもとれないようになった。

2  原告は、同年一二月上旬には、右腕のつけ根及び上膊に錐で揉まれるような痛みを感じるようになり、肘から手首までの腕の内側が硬くなり、腕全体が鉛のように重くなった。腕の症状は、一晩寝てもとれなかった。同年一二月一四日、北池袋診療所で中村医師の診察を受け、「頸腕症候群、背腰痛」と診断された(この事実は当事者間に争いがない)。中村医師によれば、その当時の原告の症状は「頸・肩・腕の筋硬化及び圧痛の増強は極めて著明。前腕の凝りと痛みは左腕より右腕に著しい。背腰筋群の硬化も極めて著明であるが圧痛はそれほどひどくなく、甚だ難治の筋硬症に進展していることを疑わせる。背筋力八一キログラム、右握力二八キログラム、左握力二一キログラム。明らかな知覚の左右差は認められない。関節リウマチその他の炎症性疾患、特定末梢神経の圧迫、損傷、脳・脊髄の器質的障害、胸・腹部内臓の疾患などを疑わせる症状、所見はない。しかし、発言、応答、その他の態度、動作からは、中枢神経疲労、脳疲労も相当進展していることが窺われた」というものであった。この際、原告は、中村医師より加算機担当業務をやめるか、業務量を十分に減らし、しばらく治療しながら経過をみるよう指示された。

同月二二日に、中村医師の二回目の診察を受けたが、背筋力八一キログラム、右握力三一キログラムであった他、著しい症状悪化はなかった。

3  原告は、昭和四三年一月には、右手で箒を持てないほど痛みを感じるようになり、同年二月から四月にかけては、右腕を左手で支えて歩くのが普通となった。殊に、同年三月以降、右腕に、錐で揉まれるような痛みが広がり、肘から先の右腕内側の筋肉が硬くなり炊事、掃除、洗濯など日常生活に支障をきたすようになった。腕の痛みのために、夜、目が覚めたりするようになった。同年四月八日に、中村医師の三回目の診察を受けた。

同年五、六月頃は、起きていても横になっても、右腕は痛く、神経を逆なでされるようにいらいらするようになった。

同年六月一八日に、中村医師の四回目の診察を受けたが、同医師によれば「(昭和四三年六月一八日までの約半年間に)右前腕の症状、所見も、脳疲労の症状、所見も著しく進行、悪化した。しかし、右握力水準は若干低下したが、背筋力水準には著変なく、エクスパンダー前方伸展の成績はむしろ有意に改善されている。」という状態であった。

4  原告は、同年六月二〇日から約三週間病気休暇をとって休職し(この事実は当事者間に争いがない)、隔日くらいの頻度で中村医師のもとに通院し、マッサージの治療を受けた。この間、症状はかなり回復し、痛みが薄れ、筋肉の硬さがなくなり、夜は眠れるようになった。

5  昭和四三年七月一〇日から配置換によって加算機担当業務を離れたが、忙しい時期には、右腕の痛み、筋肉が硬くなること等の原告の症状は従前と同様であり、同年九月頃には、炊事、掃除等の家事にも支障をきたすようになった。この間、原告としては、一時間ないし一時間四〇分程かけて入浴と身体のマッサージを繰返したり、出勤、退庁時に腕を大きく振って歩くなどの治療法を試み、また、昭和四三年から同四四年にかけての年末、年始の休みには、伊豆に温泉療養に出かけた。

6  昭和四四年七月に西川口税務署に転勤した後も、原告の症状は消えなかった。

昭和四三年八月から、通院は、ほぼ月に一回であったのに、昭和四四年九月頃から同四五年七月にかけて月に二ないし五回の頻度となった。

原告としては、この間、通院治療の他に入浴、マッサージ、温灸、散歩等の治療法を試み鴨また、昭和四五年一月一九日から同年二月一八日まで病気休暇をとり(この事実は当事者間に争いがない)、この間、温泉療養を行なった。

同年二月一六日には、中村医師により「頸腕症候群・背腰痛、二月一九日から三月末まで半日勤務、週二~三回の通院継続を要する。」と診断され、更に同年三月二七日には同一の病名で「本質的な病態の改善は認め難いが、一月ないし三月をおおむね順調に経過しているので、四月から勤務時間を若干延長し、午後三時頃まで就業することを試みてよい。」と診断された。

7 昭和四五年三月二四日付で原告は、関東信越国税局診療所の天神医師から健康管理上の指導区分の決定の前提として紹介を受けた東大病院神経内科において、同月二六日、同科医師の庄司紘史(以下、「庄司医師」という)の診察を受けた。その結果、同医師によれば原告については、「(主訴)右手の重い感じ、しびれ(現症)、脳神経正常、Hals後屈軽い痛み(+)、上下肢右三頭筋軽い筋力低下、その他正常、知覚障害、他覚的なものははっきりしない。(検査所見)Hals X―P第五頸椎軽度の後棘の形成(+)、EMG異常なし。軽いCerrical Spoudylosis(頸椎変形症)に対しケンイン又はmittelを投与してみたいと思います」というものであった。なお、右診察の際の筋電図検査により、原告は、検査当日、腕が重く感じられていたところ、翌朝、腕が持ち上げられないほど痛くなった。その痛みは、右腕の、検査のために電極をさした箇所を中心として生じた。

8  昭和四五年五月八日には、庄司医師の紹介により、東大病院石川外科脈管外来の三島好雄医師(以下、「三島医師」という)の診察を受けた。三島医師は、血沈検査、血液性格検査、尿検査、血清検査、臨床血液検査、肘のレントゲン、脈波検査を行なった結果、原告について、「脈波を除いては正常であり、脈波については、<1>手指氷水一分浸漬後の脈波では前後に差がみられない、<2>痛覚、冷覚など血管反射をみると極めて顕著に脈波波高の低化、基線の動揺などがみられ、指先の循環状態はラビール(外界からの刺激の影響を受け易い)と考えられる、<3>手指氷水浸漬直後からの指先脈波の回復をみると両手指とも回復は良好であるが、反応性充血を欠き、寒冷負荷の際に循環状態の回復遷延がみられる、<4><1>ないし<3>からみて、レイノー病ではないが、両上肢にレイノー的なところがある、<5>投薬としては、ユベラ、ニコチネート、活性ビタミン剤がよい」旨の診断を行なった。

右三島医師は、同年一一月二七日、昭和四六年六月一八日にも原告を診察し、右と同様の、検査を行なっているが、検査結果は、殆ど前同様であった。

9  昭和四五年六月一八日、健康管理者関東信越国税局長の通知により、病名「レイノー現象の疑い」、指導区分「B―2」、勤務制限「一日六時間勤務、土曜三時間勤務」、医療の指示「三か月一回精密検査を行なうこと。ニコチン酸アミド、ビタミンE(ユベラ)、活性ビタミン剤等を服用し、物理療法を行なって下さい。」との判定がなされた。原告は、この指導区分を受けて一日六時間勤務をしていた(この事実は当事者間に争いがない)。

10  昭和四五年九月一八日に、原告は、東大病院物療内科の吉田利男医師(以下「吉田医師」という)の診察を受けたが、同医師によれば原告の症状は、「背痛、右肩・腕のしびれ、痛み、倦怠感が主訴で顔面及び後記以外に頸項部、胸腹部症状及び全身症状はない。両側僧帽筋、右V左肩甲挙筋を中心に、固有頸筋群、菱形筋、棘上下筋、右三角筋などに及ぶ筋緊張増加と圧痛の亢進、右上腕屈筋、前腕回旋筋、前腕屈筋群に圧痛増加をみる。頸部は左側屈運動の軽度制限あり第四―六頸椎に圧痛がみとめられる。腱反射異常や筋萎縮、皮膚異常はなく、左右脈搏差や皮膚温異常はなかった。知覚のみ右前腕から指にかけて表在知覚の低下をみる。血沈、尿、血液検査異常なく頸椎レ線検査にて異常なし。指尖容積脈波検査にて波形に異常なく、寒冷負荷後の波高回復には著明な異常はみとめられなかった。右上肢過伸展テスト陽性、アドソンテスト、過外転テスト陰性」というものであり、診断の結果、加算機業務に起因する頸腕症候群とされた。

11  昭和四五年一一月二〇日頃の原告の症状としては、夜中に腕の痛みで目が覚めるということはなくなり、午後三時までの勤務ならば、それほど苦痛を感じなくなった。しかし、疼痛はなくなったが、右腕全体の重さは、幾分、残っているという状態であった。なお、同年一一月二七日にも前記9と同旨の通知がなされた。

12  昭和四七年二月から昭和五二年一二月までは週二ないし三回、昭和五三年一月以降は昭和五四年四月まで不定期に、埼玉県戸田市の三上整骨院に通い、柔道整復師によるマッサージ治療を受けた。

13  昭和五四年七月においても、終日、勤務に就くことはできるが、少し無理をすると腕が痛くなり、治療が不十分だと症状がぶり返すという状態であった。

14  昭和五八年一月頃には、医師等にかかることはなくなったが、症状は完全には消えておらず、少し無理をするとぶり返すという状態である。(以下、原告の昭和四二年八月以降の右1ないし14の疾病を「本件認定にかかる疾病」という)

三  原告の業務内容と業務量について

1  管理第一係における原告の業務

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和四二年七月一九日付で川口税務署管理課管理第一係に配属され、同月二四日から同係員としての業務に就き、昭和四三年六月一九日まで同業務に従事したが、同月二〇日から休暇をとり、同年七月一〇日付をもって管理課管理第二係に配置換となった。

(二)  税務署における業務は、大きく分けて賦課部門と徴収部門に分けることができるが、徴収部門は、管理と徴収の二つに分けられる。管理とは、国税債権・債務の発生、消滅、未済の総計を総体的、個別的に把握し、管理する業務であるが、原告が勤務した川口税務署の管理課は、事務の取りまとめ責任者(係長)を中心に、債権管理の基礎資料の区分整理等を行なう仕訳担当者、主として徴収カードへの記帳事務を行なう収納整理担当者及び基礎資料、徴収カードに記帳した金額を集計する加算機担当者からなり、その業務の事務分掌については、管理第一係は加算機担当業務及び国税債権債務の計数管理業務、還付、報告書の作成を担当、管理第二ないし第四係は、それぞれ、法人税・源泉所得税(第二係)、申告所得税(第三係)、相続・贈与その他諸税(第四係)の各個人別徴収カードの記帳管理及びこれらに付随する若干の集計事務並びに第四係ではその他の転出入事務、納税証明事務を担当し、他に納税貯蓄組合係がある(右各係の事務分掌に関する事実は当事者間に争いがない)。

(三)  管理第一係員は、原告が着任した当時、飯泉晃係長以下、小名木文男主任、飯島和男、吉田淑子各係員及び原告の五名であったが、吉田淑子は、昭和四二年六月二八日から同年九月二六日まで産休をとっていた。各人の事務の分担は、小名木が資金報告事務、飯島が還付金及び同報告事務、吉田及び原告が集計(加算機)事務であり、飯泉係長が係全体を統括、指導することとされていた。昭和四三年四月一日より菅原たえ子が集計(加算機)事務担当者として加わった。

なお管理課のうちの他係には、第二係に四名(昭和四三年三月から五名)、第三係に六名(昭和四三年三月から七名)、第四係に四名の職員が配置されており、電動加算機は管理課全体に五台備えられていた。

(四)  加算機担当者となった原告は、アドックス電動加算機三四一―E型を右手で操作して集計事務を行なっていた。集計の過程及び結果は、紙テープに印字されるようになっていた。加算機担当者のなす集計事務は、性質上、正確さを要求されるものであり、処理期限も厳格に定められていた。

(五)  原告の業務の内容は、後記三、4認定のとおりの電動加算機による集計事務の他には、次のとおりであった。

(1) 補完事務(集計の基礎となる伝票等に記載された数字のうち判読に紛らわしいものについて補完記入し、後で読み違いのないようにしておく。)

(2) 分類事務(伝票の綴りをはずし、集計し易いように分類整理する。)

(3) 照合・見直し事務(集計の結果、一定の数式により、計算結果の正誤を点検すべき場合には、照合事務を行なって、集計が正しいかどうか点検する。誤っている箇所を発見するために伝票と加算機によってテープに印字された数字を照合し、見直し事務を行なう。)

(4) 帳票作成事務(集計に誤りがないことを確認した後、収納機関別日計票等の帳票の作成記入を行なう。)

(5) 相続税、贈与税延納担保物調査事務

(6) 納付書作成(ボールペンによる複写式用紙記入。)

(7) 還付金支払委託決議書作成(ボールペンによる複写式用紙記入。)

(8) 書類発送。

(9) ガリ版筆耕。

(10) 電話応接、来客接待。

(11) 雑務(お茶汲み、清掃等)。

(右(2)ないし(4)、(6)ないし(11)の事実については当事者間に争いがない。)

(六)  右の集計事務以外の事務は、管理課全体として行なうものと他課からの応援もあったので、原告一人の事務量としてはそれ程多くはなかった。

以上のとおり認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  確定申告期の業務内容

(人証略)によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  毎年一月から三月にかけては、所得税の確定申告の受理期間である二月一六日から三月一五日までの間を中心に、その準備及び計数処理のために税務署は多忙となる。

(二)  原告のなすべき業務も右三、1において認定した通常の業務の他、次の作業が加わる。

(1) 確定申告用紙の発送準備(住所・氏名・予定納税額等の記入、口座振替用の納付書作成、一般用納付書の準備、封入作業。)

(2) 確定申告についての全職員との打合せ及び研修

(3) 納税相談会場の設営

(4) 納付相談(期限内納付の指導、延納申請手続等の指導、振替納税制度の利用の勧奨、納付税額を記入した納付書用紙の交付、現金領収、確定申告受付書の交付、還付金支払郵便局名の確認。)

(右の事実は当事者間に争いがない。)

なお、右(1)のうち、住所・氏名・予定納税額等の記入については、管理課職員全員が従事し、右(1)のその余の事務については、管理課及び所得税課の職員が共同して行なう他、相当数のアルバイトが加わる。

(3)については、税務署の全職員が従事する。

また、(4)の納付相談は、納税相談会場に設けた一定の場所において、所得税課職員の申告相談を経て確定申告書の作成を終り第三期において納付すべき税額のある納税者を対象に実施するが、管理課及び徴収課の職員のほぼ全員が従事し、従事日数は平均して一人七日程度であった。

(三)  事務管理上の必要から、税務署においては確定申告期の管理事務について細部にわたる事務計画を策定していた(この事実は当事者間に争いがない)。

以上のとおり認めることができ、右認定に反する原告本人(第一回)の供述部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3  配置換後の業務

原告は、昭和四三年七月一三日以降、加算機担当業務を離れ、法人税一人別徴収カード担当者として、向山宏と共に法人税の納付管理の業務に携わったこと、具体的には、法人税の延納催告・登記作業であって、カード捲り、そろばん使用、ボールペンによる筆記作業(後に調査簿記入の業務が加わる)が中心であったことは当事者間に争いがない。

(証拠略)によれば、原告は、昭和四四年七月に西川口税務署に転勤同署管理課管理第一係に勤務して延納事務、物納の登記嘱託、納税証明等の業務に従事したこと、昭和四五年一月から二月にかけて温泉療養した後、約一年間、原告の仕事の分担は事実上なくなったこと、その後、原告は順次、源泉所得税の調査簿の記入、納税証明の専担、法人税の債権管理等の業務に従事し、昭和五四年七月には、相続税、贈与税の延納、物納の許可事務に従事していることを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

4  原告の打鍵作業の業務量について

原告が、昭和四二年七月二四日から四三年六月一九日まで川口税務署管理課管理第一係において電動加算機を打鍵して集計作業を行なっていたことは、前記三、1において認定したとおりであるが、以下、具体的な打鍵数について検討する。

(一)  弁論の全趣旨によれば昭和四二年七月から昭和四三年六月までの、川口税務署における原告の出勤日数(但し括弧内は加算機事務従事日数)は、昭和四二年七月は六・五日(四日)、八月は二一・五日(一三日)、九月は一七・五日(一〇日)、一〇月は一六日(一〇日)、一一月は一八日(一一日)、一二月は一五・五日(九日)、昭和四三年一月は一五・五日(九日)、二月は二二・五日(一四日)、三月は二一日(一三日)、四月は一六日(一〇日)、五月は二〇・五日(一二日)、六月は九日(五日)であって、以上の合計は一九九・五日(一二〇日)であったものと認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  次の(1)ないし(8)の内容の集計事務を原告が行なっていたことについては、当事者間に争いがない。

(1) 納税告知書の告知金額を集計して納税告知書発付決議票(ロールペーパー)を作成する(原告主張の集計2)。

(2) 収納額の総体的把握として収納機関(銀行、郵便局、税務職員等)からの領収済通知書(原符)により受入高日計表を集計して収納機関別日計票(ロールペーパー)を作成するとともに、原符を税目別に仕訳して、税目ごとの収納金額を集計し、両者の金額を照合する(原告主張の集計3)。

(3) 個人別の申告書、原符、徴収カード等のそれぞれの徴収決定額・収納額・未済額を集計し、個人ごとに把握された未済額(債権残高)の総計を明らかにするもので、一括整理(期限内申告について一括整理を行なう。申告所得税年三回、法人税月一回、贈与税年一回)に伴うものである。作業としては、完納分につき収納済額の集計及び申告書の徴収決定済額の集計の照合(但し、この完納分についての集計は、時になされることがあるものである)、延納分につき徴収決定済額・収納済額・延納届出額(未済額)を各集計して終局的に収納未済額の確定、並びに未納分につき徴収カードに基づく徴収決定額・収納済額・収納未済額を各集計して未納分の確定をそれぞれ行なう。この作業によって、精算表を作成する(原告主張の集計5)。

(4) 右一括整理分について督促状発付手続のための督促金額の集計をし、結果を精算表に記入する(原告主張の集計6)。

(5) 準一括整理(期限後申告、修正申告、更正決定分及び一括整理の行なわれない税目につき一括整理に準じて行なう)について、申告書と原符から、徴収決定額・収納済額・未済額をそれぞれ集計し、徴収決定日計票・収納日計票を作成する(原告主張の集計7)。

(6) 右準一括整理分の督促状の督促金額を集計する(原告主張の集計8)。

(7) 一括整理・準一括整理を経たものにつき、納付があった都度、徴収カードの収納額・充当済額・過誤納額・利子税及び延滞税の徴収決定額を集計して、収納日計票に記入する(原告主張の集計9)。

(8) 収納未済額の総体的把握として徴収決定集計票及び右(2)により総体的に集計された未済額と、右(3)、(5)及び(7)により個別に把握された未済額とを照合して債権残高を確定し、資金月計表を作成する(原告主張の集計10)。

(三)  (証拠略)によれば、右(二)の集計事務に関する打鍵数について、昭和四二年七月二四日から昭和四三年六月三〇日までの期間に関し、右各種の集計ごとにそれぞれサンプルの帳票を抽出調査するなどして原符ごとあるいは各月ごとの平均打鍵数を算出した上で、各集計別、各月別の打鍵数を推計する方法によって、別紙(二)の各月各集計別ストローク欄の数字(各欄上段に記載のある場合は上段の数字)を算出できることが認められる。

なお、右の数字は、一括整理の場合(集計五)の完納分の集計をも含むものである。

(四)  右(二)の集計における原告が関与した分担割合については、(証拠略)を総合すると、別紙(三)のとおりの割合であったものと推認するのが相当である。

右の分担割合について、原告は、請求原因2(二)(1)において原告の従事した加算機業務が専担制であって加算機担当者以外は、集計業務を行なっていなかった旨主張するので、この点について検討する。

原告本人(第一、二回)は、管理第二係及び第四係においては加算機を全く打っておらず、第三係において原告が処理することのできなかった分についてのみ、いくらか打っていたにすぎず、また、第一係の加算機担当者二名のうちの一名である吉田淑子が産休中にも、原告以外の者が原告の加算機事務を手伝ったことはなかった旨供述しており、また、証人生澤壮介も、原告が管理第一係に配置されていた当時、加算機担当者が集計については全て行なうということで他の者は応援できなかった旨右主張に副う供述をしている。ところで、(証拠略)によれば、昭和三八年一二月三日付で加算機担当者以外の者に集計事務を担当させないよう関東信越国税局より指導がなされており、昭和四二年七月当時、浦和税務署の管理課においては、管理第一係の三名の加算機担当者以外の者は、集計事務を行なってはならないとされていた事実を認めることができる。しかしながら、反面、(人証略)は、吉田淑子の産休中には、加算機担当者が原告一人では到底足りないということで管理課管理第一係長であった飯泉が同係の小名木主任に指示をして集計事務の応援をさせ、また、他係の係長と打合せの上、他係即ち第二ないし第四係の者からも集計事務の応援を得ていた旨及び制度上原則として加算機担当者が打鍵すべきものとされてはいても、同時に、指名された者も加算機を打鍵してよいこととなっていた旨供述していること、また、(証拠略)は、当時の管理第一ないし第四係長の作成にかかるものであるが、右各号証に前記認定に副う内容の記載部分があること、更に、前記三、1(三)において認定したとおり、当時、管理課には加算機が五台備えられていたこと、原告の出勤日数、加算機事務従事日数が前記(一)で認定のとおりであってさほど多くなかったこと等に照らせば、(人証略)及び原告本人(第一、二回)の前記各供述部分はたやすく採用し難く、また、(証拠略)及び浦和税務署における状況についても昭和四二年七月から昭和四三年六月の川口税務署管理課の運用の実態が、これと合致していたとは必ずしも限らないのであるからこれらによって原告の前記主張事実を推認することはできず、従って、請求原因2(二)(1)のうち集計事務が加算機担当者の専担であったとの事実はこれを認めることができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

(五)  従って、前記(二)に関する原告の打鍵量については、前記(三)のとおり推計された数値に、右(四)の分担割合を乗じることによって、次のとおり、これを求めることができる。

年月 原告の打鍵数 総打鍵数

昭和四二年

七月 二万六五五五 四万二〇九七

八月 一六万八九〇四 三三万三二五〇

九月 七万五一四三 一四万七七九一

一〇月 四万三二五八 一二万七八四一

一一月 四万九二九三 一四万三〇四〇

一二月 一〇万九一二四 三〇万九三九二

昭和四三年

一月 四万八〇四二 一三万三七三三

二月 四万一四六八 一一万九一七九

三月 二四万六一八一 七七万七四〇〇

外少々 外少々

四月 五万二八九八 一九万九三五四

外少々 外少々

五月 四万三一二〇 一六万六一五三

六月 五万九四九六 二二万〇五八九

合計 九六万三四八二 二七一万九八一九

外少々 外少々

(六)  従って、原告の前記(二)の集計に関する一日当たりの平均打鍵数は、右(五)の打鍵数を前記(一)の加算機事務従事日数で除した数値であって、次のとおりとなる。

即ち、昭和四二年七月は六六三八、八月は一万二九九二、九月は七五一四、一〇月は四三二五、一一月は四四八一、一二月は一万二一二四、昭和四三年一月は五三三八、二月は二九六二、三月は一万八九三七外少々、四月は五二八九外少々、五月は三五九三、六月は一万一八九九(但し、六月分については前記(三)において六月三〇日までの分について打鍵数を求めているので、本来の数値より大きい。)、通算すると八〇二九外少々となる。

(七)  ところで、原告は、前記(二)以外に、徴収決定額の把握作業(原告主張の集計1)、収納機関別日計票作成の際の集計表の検算(同集計3)、分割精算表の作成(同集計4)及び還付金の集計を原告が行なっていた旨並びに、実際には、見直しのための打直し、むだ打ち等により、作業結果として表われないため右(三)ないし(六)のような推計に含まれない打鍵がなされており、それら全てを考慮すれば、原告は右(六)の打鍵数の数倍に及ぶ打鍵を行なっていた旨主張するので、以下、これらの点について検討する。

前掲甲第九、第一〇号証中には、原告の右主張に副う内容の記載があり、証人生澤壮介及び原告本人(第一、二回)も、原告の右主張に副う内容の供述をしている。また、証人松本重也の証言及び同証言により真正に成立したものと認められる甲第四七号証によれば、同証人は、昭和四二年七月から昭和四六年七月まで、浦和税務署において管理事務に従事し、加算機専担兼還付金担当又は加算機専担兼報告担当者であったことが認められ、同証言中には、浦和税務署においては、当時、右集計3と同様の事務を処理するに当たり金融機関で行なった集計の検算を必ず加算機担当者が行なっていた旨の供述がある。

(1) しかしながら、まず、集計1について、証人飯泉晃の証言によれば、第三期分の申告所得税の場合、申告書の下部の切取カードとこれを集計した徴収決定集計表が賦課係から管理課へ送られてくること、その都度、予定納税額(第一、第二期分)、第三期分の税額(納める税金、還付される税金)を集計して徴収決定集計表の額と符合するかどうかの確認作業を主として第三係の職員が行なっていたが、加算機担当者もこれを行なっていたこと、この作業は精算表作成の準備として行なわれるものであったことを認めることができる。更に、証人広瀬勝彦の証言及び前掲乙第一〇号証によれば、この作業は、本来精算表集計の前になされるものであって、精算表作成事務(集計5)に含ませるべきでないのにこれを乙第一〇号証においては、精算表作成事務の打鍵量として把握していることを認めることができる。従って、集計1による打鍵数に関しては、前記(三)の精算表作成に伴う打鍵数に含まれているものとみるのが相当であり、集計1に伴う打鍵量として特に何らかの数値を加える必要はないものというべきである。

(2) 次に集計3に関しては、右飯泉証言によれば、まず、管理第一係長ないし小野木事務官が収納機関作成の領収済通知書(原符)の枚数を数えて金融機関作成の集計表記載の枚数と符合するかどうかを確認すること、金融機関としては、右の点が符合していないと日本銀行から厳重な注意を受け、自行の信用にもかかわることもあって、誤った集計がなされていることは極めて稀であったこと、従って、管理事務提要においても、金額の集計による確認は必要とされていないこと、証人生澤壮介の証言によれば、同証人は、原告が右の点について検算している事実を直接現認したことはないことをそれぞれ認めることができ、右各認定事実に照らせば、原告が常に金融機関の集計を検算していたとする前掲甲第九、第一〇号証の記載、及び証人生澤、同松本並びに、原告本人(第一、二回)の各供述部分は、いずれも採用し難い。

(3) 集計4については、前掲飯泉証言によれば、一括整理の準備の段階で地域別の徴収決定済額及び収納済額の合計の把握は、徴収決定の原資料及び領収済通知書が管理第三係長に回付された都度、管理第三係において行なっていたこと、分割精算表作成の整理担当者は、管理第三係の係員と他係の指名された応援者であったことを認めることができ、右認定に照らせば、前掲証人生澤及び原告本人(第一回)の各供述部分はいずれも採用し難く、他に分割精算表作成のための集計を原告が行なっていたものと認めるに足る証拠はない。

(4) 次に、還付金集計事務については、前掲甲第五四号証、証人飯泉晃の証言(但し、後記採用しない部分を除く)、原告本人尋問(第二回)の結果及び同尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第五五号証(一〇八、一〇九頁)によれば、管理第一係の飯島が、還付金集計担当者であったが、原告も時にこれを行なったことがあることを認めることができ、右認定に反する証人飯泉の供述部分は採用しない。もっとも、その打鍵数については、前掲甲第一〇号証によれば、昭和四二年八月分として一万七〇一六とされていることに照らせば、さほど多くはなかったものと認められる。

(5) 照合・見直し及びこれに伴なう打直しについて、集計3に関して原告が照合を行なっていたことは当事者間に争いがなく、原告本人尋問(第二回)の結果によれば、原告は、集記3の照合結果が合わない場合及び集計5、10については結果の一致した場合でも誤りを発見、防止するために、再度打ち直して二本のテープを並べ、あるいは重ねて誤って打鍵した箇所を発見していた旨供述しており、前掲証人松本は、集計1ないし4、7については照合し、結果に誤りがなくとも集計が正しいかどうか見直していた旨及び見直す方法としては、打ち直した方がテープと原票を目で対照するよりも速く簡単であった旨供述している。しかしながら、集計結果が本来算出さるべき数字と合致しない場合には、一般的には、テープと原資料を目で対照すれば誤りが容易に発見できるというべく、必ずしも再度打鍵する必要はないものと考えられる上、原資料の数字を打鍵の際に読み違えた場合には、再度打鍵しても同じ誤りを繰り返すおそれがあるから、打直しによって必ず誤りが発見できるものとは考えにくい。従って、原告において、ある程度は打直しを行なっていたことは窺えるものの、さほど頻繁に打直しをしていたとは到底認められない。なお、原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、原告がむだ打ち、即ち打鍵途中でミスをしたことが分かった場合、改めて始めから打ち直すということをある程度していたことが認められるが、弁論の全趣旨によれば、原告が使用していた加算機は、打鍵を誤った場合、訂正用キーによって誤って打鍵した部分のみが抹消され、打ち直せる仕組となっていたことが認められるから、右のむだ打ちもさほど頻繁になされていたものとは認められない。

(6) 原告本人尋問(第二回)の結果によれば、原告が相続税及び贈与税の延納税額に関する集計事務を行なったこと、右集計は年一回の四月に行なわれたことを認めることができる。

以上の認定事実を総合すれば、原告の一日当たりの打鍵数は右(六)の打鍵数よりも若干多いものと認めることができるけれども、これを倍近くに修正すべき事情は認め得ない。

(八)  業務量の波については、年間では、前記(六)のとおり、八月、一二月、三月が多く、(証拠略)によれば、月間では、月の上旬と一五日前後が多かったことが認められる。

四  原告の作業環境及び作業姿勢

1  作業環境について

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  原告が川口税務署において執務していた管理課室は、昭和三八、九年頃、本館の南側に増築された建物の中にあり、天井は、通常よりも相当高く、窓は南側と西側に、腰板の上にガラス窓、その上に回転窓が設置されていた。

(二)  原告は、右管理課室のうち最も北側の机で業務を行なっていたが、北側の法人税第一課との境は、二段重ねあるいは一段の書類箱によって仕切られていた。

(三)  原告の机は、照明の点では、川口税務署内で最も明るい部屋にあり、騒音もそれほど酷くはなかったが、通風は悪く、夏は特に暑くなった。

2  作業姿勢について

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  原告が、昭和四二年七月から昭和四三年六月まで加算機業務のために使用した机は、外板をはずして台にすると、右袖の部分が一段低くなるように作られた加算機担当者専用の机であって、この一段低い台の部分に加算機を置いて打鍵するようになっていた。

(二)  椅子は、当初、木製の四本の脚のある椅子であり、しばらく後、脚に車のついていない木製の回転式の椅子に替わったが、これは、一般事務用のものであった。

(三)  右(一)のような机の構造上、原告は、加算機を体の正面に置いて打鍵することはできず、体をやや右にねじった姿勢で打鍵していた。

(四)  打鍵の際には、原告は両肘を空中に浮かせたままで作業をしていたが、加算機の打鍵面は、原告が、右袖中段の上に高さ四センチメートルの木製の台を乗せ、その上に加算機を置いていたため、若干、机の通常部分の面の高さより高くなっていたものの、ほぼ机の面と同一の高さであった。

五  本件認定にかかる疾病と業務の因果関係について

1  (証拠略)によれば、次のとおり認めることができる。

(一)  頸腕症候群とは単一の疾患名ではなく、一種の症状名で、臨床的には頸椎及びその周辺軟部組織の老化、退行変性、構築学的な弱点を基盤として頸、肩、腕、手指などの連鎖的疼痛、しびれ、脱力感、冷感を主訴とする一連の症状群の総称である。

(二)  その原因の多くは、椎間板を含めた頸椎部の病変(変形性頸椎症:頸椎の加令的変形、骨棘形成、頸椎椎間板変性:椎間板の加令的変化による狭小化等)、腕神経叢に関係した障害(胸郭出口症候群、このなかには斜角筋症候群、肋鎖症候群、過外転症候群が含まれる)、末稍神経部の障害などである。

(三)  頸腕症候群は、整形外科外来診療において日常数多く見られる疾患で、その多くは家庭の主婦など、特に、上肢反復作業に従事していない人であり、その本態は椎間板の加令的変性(老化)が主因であり、他の複雑な要因が絡みあって頑固な疼痛が持続するものである。

(四)  原告の場合、前記二認定のとおり、背部痛、右上腕から指にかけての疼痛、しびれ、倦怠感、他覚的に両側僧帽筋、肩甲上・下筋、菱形筋等の背筋群、前腕伸筋群、屈筋群に筋緊張の増加、圧痛の亢進等の症候があることから、本件認定にかかる疾病は、右(一)の頸腕症候群に当たる。

2  (証拠略)によれば、昭和四三年三月二七日付人事院事務総長通知「キーパンチャー障害の防止について」は、キーバンチャーの作業管理基準としてせん孔作業時間は一日三〇〇分以内とすること、一連続せん孔作業時間は、六〇分を超えないようにすること、作業間に一〇分から一五分までの休憩を同一室内で作業する者に一斉に与えるようにすること、実せん孔作業従事者の一人一日当たりの平均生産タッチ数は四万を超えないように作業を調整することが望ましいこと、各人の作業量及び毎日の作業量はできるだけ平均化すること、騒音は作業者の耳の位置において七五ホン以下とするのが望ましいこと、原票の位置の照度は四〇〇ルクス以上とすること、照明採光はできるだけ明暗の差が少なく、まぶしさを起こさせないような方法によること、室温は冬期摂氏一八度を下らないよう管理すること、作業室の広さはせん孔機一台当たり四平方メートル以上とするのが望ましいこと、作業姿勢等については、椅子、作業台及び原票の読取りの難易等について人間工学的な見地より十分の考慮を払い、特に、適正な姿勢の保持に留意することと定めている。

右の基準は、キーパンチャーについて定められたものであるけれども、キーパンチャー業務と、加算機業務とはその作業態様においてほぼ共通するものというべく、また、本件において原告の使用したアドックス電動加算機三四一―E型の打鍵に要する力がキーパンチャーの使用する機械に比べて、特に大きく、タッチが重いものと認めるに足る証拠はないから、結局、右の基準を、原告の従事した加算機業務の業務量が過重であったか否かを判断する際の一応の目安になし得ると解するのが相当である。

3  なお、労働省では昭和五〇年二月五日付労働省労働基準局長通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(昭和五〇年基発第五九号、改正昭和五三年基発第一八七号)を発し、この基準をもって職業病認定の行政基準として現在に至っているが、右通達及びその解説によれば、イ、後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり、「こり」、「しびれ」、「いたみ」など相当強度の病訴があること、ロ、筋硬結、圧痛あるいは神経走行に一致した圧痛ないし放散痛が証明され、その部位と病訴との間に相関が認められること、この二点に該当するような症状を「いわゆる『頸肩腕症候群』」と定義した上、上肢の動的筋労作(例えば打鍵などの繰返し作業)又は上肢の静的筋労作(例えば上肢の前・側方挙上位などの一定の姿勢を継続してとる作業をいうが、頸部を前屈位で保持することが必要とされる作業を含むものとする。)を主とする労務に相当期間継続して従事した労働者であって、その業務量が同種の他の労働者と比較して過重であるような場合又は業務量に大きな波がある場合において右イ及びロの症状を呈し、それらが業務以外の原因によるものでないと認められ、かつ当該業務の継続によりその症状が持続するか、または増悪の傾向を示すものである場合には、業務上の疾病として取扱うべきものとしており、右通達の解説として、業務上の認定にあたっては、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量からみて、本症の発症が医学常識上業務に起因するものとして納得し得るものであることが必要であるとし、発症までの作業従事期間については、一週間とか一〇日という短期間ではなく、一般的には六か月程度以上であること、業務量については、同種の労働者と比較して、概ね一〇パーセント以上業務量が増加し、その状態が発症直前三か月程度にわたる場合は業務量が過重であると判断すること、業務量の波に関しては、イ、業務量が一か月の平均では通常の範囲内であっても一日の業務量が通常の業務量の概ね二〇パーセント以上増加し、その状態が一か月のうち一〇日程度認められるもの、または、ロ、業務量が一日の平均では通常の範囲であっても、一日の労働時間の三分の一程度にわたって業務量が通常の業務量の概ね二〇パーセント以上増加し、その状態が一か月のうち一〇日程度認められるもの、のいずれかに該当する状態が発症直前三か月程度継続している場合に業務量に大きな波があると判断すること、としている。また、いわゆる「頸肩腕症候群」について適切な療養を行なえば、概ね三か月程度でその症状は消退するものと考えられるから、三か月を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合には他の疾病を疑う必要があるので、鑑別診断のための適切な措置をとらなければならないとしている。

ところで税務署職員の公務上の災害に対する補償については国家公務員災害補償法が適用され、同法に基づいて制定された人事院規則(職員の災害補償)第二条は「公務上の災害の範囲は公務に起因する負傷、廃疾及び死亡並びに別表第一に掲げる疾病とする(昭和五三年一〇月五日施行)と規定し、その別表第一、三は「身体に過度の負担のかかる作業態様の業務に従事したため生じた次に掲げる疾病及びこれらに付随する疾病」とし、その4には「せん孔・タイプ・電話交換・電信等の業務その他上肢に過度の負担のかかる業務に従事したため生じた手指のけいれん、手指、前腕等のけん、けんしょう若しくはけん周囲の炎症または頸肩腕症候群」を掲げているが、公務上の疾病と私企業における業務上の疾病とは本質的な差異はなく、労働基準法施行規則第三五条には右人事院規則と同様の規定がおかれているので、前記基発第五九号通達は、本来は、労働基準監督署長が民間労働者につき業務上外の認定を行なう際の行政基準となるものであるが原告の本件疾病と業務の因果関係を検討する際の一応の基準ともなし得るというべきである。

4  そこで、原告の業務量等につき、右2及び3をも参酌して、原告の本件認定にかかる疾病を引き起こす程度に過重であったかどうかについて判断する。

(一)  前記二及び三、4において認定したとおり、原告が初めて中村医師によって頸腕症候群と診断された昭和四二年一二月までの加算機打鍵業務の従事期間はわずか五か月足らずであること、しかも症状自体は同年一一月頃から現われていること、打鍵業務の従事期間も全体で一一か月足らずであって、そのうち実際に打鍵したのは一二〇日であること、一日当たりの打鍵数は、最も多い昭和四三年三月においても約二万余り、全体を通算しても約八〇〇〇余りと推認されること、業務量に波があることは管理業務における集計事務の性質から窺われるけれども、打鍵数の多い月は八月、一二月、三月と分散しており、前記通達にいうような一日の労働時間内あるいは月間での波のある状況があったとしても、それが発症直前三ヶ月にわたって継続していたとは到底考えられないこと、原告の一分間の打鍵数については、前掲乙第一〇号証によれば一八〇(毎分)と推認するのが相当であるが、この数値に基づいて一日当たりの作業時間を計算すると、打鍵数の最も多い昭和四三年三月においても、打鍵数が一日二万として一一一分(20,000÷180≒111)にすぎず、一日三〇〇分以内という前記基準にはるかに及ばないこと等の点から、原告の加算機業務が過重であったものとは認め難い。

(二)  原告は、報告期限が厳格なために仕事が遅れ気味のときはあせりを感じ、正確に打鍵するために指先に神経を集中し、規格の異なる資料及び読みづらい数字に神経を使うなど、集計業務には、多大の精神的負担、緊張が伴い、これが本件認定にかかる疾病の発症原因となった旨主張するので判断するに、(人証略)によれば、精神的緊張に伴う脳の疲労によって肩凝り等が生じることはあるが、通常は熟睡すれば治るのであって、右の症状が病的な段階に至る場合はむしろ精神医学的な病名を問題にすべきであることが認められるから、本件において、原告の業務が過重であったか否かを判断するに当たり、原告主張の精神的な負担を、特に重視すべきものとは認め難い。

(三)  なお、付言すれば、原告は、打鍵業務以外にも前記三、1で認定したとおり、集計事務の処理手順の上で、帳票の補完記入、分類整理、打鍵結果の照合、見直し、帳票の作成記入等の作業を行なっていたのであるが、これらの作業が打鍵業務の間に存することは、むしろ継続的打鍵業務自体の肉体的負担を軽減するものと考えられるから、この点に照らしても、打鍵業務が過重であったものとは認め難い。

(四)  原告は、右の打鍵以外の業務即ちボールペンを使用しての三枚複写式の納付書への記入及びガリ版筆耕作業並びに、昭和四三年七月以降のそろばんの使用、ボールペンによる複写式用紙記入、ゴム印押捺作業等も発症の原因となったものであると主張するので、これについて検討する。

原告本人(第一、二回)は、右のような作業が腕、肩の負担となった旨供述し、証人中村美治も、ボールペンによる複写作業が頸腕症候群にとって有害である旨供述している。

しかしながら、原告の昭和四二年七月から昭和四三年六月までの出勤日数は、前記、三4(一)で認定したとおりであって、必ずしも多いものではないこと、前掲乙第四号証によれば、肩腕痛その他の疾病による原告の病休は、昭和四二年七月から昭和四三年六月にかけて二一日と三六時間、同年七月から昭和四四年六月にかけて三三日と二八時間、同年七月から昭和四五年六月にかけて五九日と二六二時間、同年七月から昭和四六年六月にかけて二日と六八三時間、同年七月から昭和四七年六月にかけて七日と四八五時間であったと認められること、他方、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告のなした超過勤務は、昭和四二年八月及び一二月に各一時間半、昭和四三年二月に一二時間、三月に二〇時間であったと認められること、また、証人井上幸雄は、筆圧を非常に要する作業、例えば、何枚かの複写式用紙にボールペンで強く書く作業は、通常の作業よりは負担になり、腱鞘炎ないし前腕部の痛みを起こすことはあり得るけれども、頸腕症候群の原因になるとは考えにくい旨証言していること、証人飯泉晃の証言によれば、原告が加算機担当者であった間のボールペン使用作業は、集計事務に関連する諸徴票類への記入及び納付書の作成といった程度であって、事務量はそれほど多くはなかったと認められること(証拠略)によれば、原告の行なったガリ版筆耕作業は昭和四三年六月にB4版四枚程度であったと認められること、等に照らせば、原告が加算機担当であった期間について、ボールペン複写による負担及びガリ版筆耕作業を前記打鍵業務と総合して検討しても、前者ないし両者が本件認定にかかる疾病の発症原因となるほど過重なものであったと認めることはできず、更に、昭和四三年七月以降についても、原告主張のボールペンによる複写、そろばんの使用、ゴム印の押捺等の作業が本件疾病の発症原因になるほど過重なものであったとも認められないことに照らせば、証人中村美治及び原告本人(第一、二回)の前記各供述部分は採用し難い。しかして他にこれらを認めるに足る証拠はない。

(五)  原告の川口税務署管理課勤務当時の作業環境については、前記四、1で認定したとおりであり、通風の点で必ずしも良好とはいえないものの、その他、照明、騒音の点を含めて、特に劣悪とはいえず、本件疾病の発症原因になったとは認め難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。

(六)  原告は、加算機打鍵の際の作業姿勢について加算機打鍵業務用の机の構造が不適当であったため、無理な姿勢を強いられ、これが本件疾病の発症の原因となったと主張するが、前記四、2で認定したとおり、原告は、加算機専用の机を使用していたことに照らせば、この机を使用して前記三、4で認定した程度の打鍵業務を行なったからといって本件疾病の発症の原因になったとは認められない。

(七)  原告は、昭和四二年七月までは加算機担当者としての経験がなく、加算機業務についての指導訓練のないまま既に四〇歳を過ぎてから初めて加算機業務に従事したことが本件疾病の原因であると主張するので、この点について検討する。

証人飯泉晃の証言及び原告本人尋問(第一回)の結果(但し、後記採用しない部分を除く)によれば、原告は、昭和二九年四月から大宮税務署管理課に、昭和三六年七月から、浦和税務署管理課に勤務しており、昭和四二年七月に川口税務署管理課に配属になるまでに、約一三年間余り、税務署における管理業務に携わってきたこと、加算機業務の担当者となったのは、川口税務署が初めてであったものの、前記浦和税務署に勤務していた時に加算機を用いて業務を行なった経験はあったこと、飯泉係長は、昭和四二年七月に川口税務署管理課管理第一係長として着任したのであるが、当初、同時期に着任してきた原告に対し、事務分担の内容と加算機事務の概略を説明するとともに、不明な点があれば、飯泉係長自身か小名木事務官に指導を受けるよう伝えておいたこと、ところで、原告は、その着任当初から相当の速さで加算機を扱うことができたので、飯泉係長は、原告に対し加算機の取扱い方について特に指導をしていないこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する原告本人(第一回)の供述は採用し難く、他に右認定を左右する証拠はない。

右認定によれば、川口税務署に着任当時、原告は既にある程度加算機について経験を有していたのであるから、その際、加算機の取扱い方の指導を受けなかったからといって、それが本件疾病の原因になったものとは認め難い。

5  ところで、中村医師は原告の本件認定にかかる疾病について、前記二、2で認定したとおり、原告の主治医として昭和四二年一二月以来、診察、治療に当たってきた者であるが、前掲甲第七号証(同医師作成の意見書)及び証人中村美治証言中には、原告の本件認定にかかる疾病は原告の業務に起因するものである旨の記載ないし供述がある。

しかしながら、中村医師の頸腕症候群発生の原因に関する基本的な考え方については(証拠略)に照らし、疑問の余地がある上、中村医師は、前記二、2で認定のとおりの経緯で原告を診察したものであるが、診察の際原告から担当業務について説明をきいたものの、加算機の打鍵数、打鍵時間については全く不明ということで、ほぼ勤務時間の半分前後(三ないし四時間)、打鍵数にして二万前後ないし四万と推測した上で(頸部レントゲン写真等を撮影した形跡は窺われない)甲第七号証(意見書)を作成したのであるが、他方、一日八〇〇〇程度の場合には、打鍵業務だけでなく他の業務についても考慮することが必要としているのであり、一方、原告の打鍵数は前記三、4で推認したとおりであって、かつ、前記五、4、(一)、(四)で認定のとおり打鍵業務以外に、特に腕、肩に過重な負担のかかる作業に従事していたものと認めるに足る証拠はないから、中村医師の前記判断は、その前提において誤まっていたのではないかとの疑問をはさむ余地がある。従って、前掲甲第七号証及び証人中村美治の供述中、原告の本件認定にかかる疾病が業務に起因するものである旨の部分は採用し難い。

6  吉田医師作成の診断書(前掲甲第五号証)には、原告の頸腕症候群が加算機業務に起因するものと認められる旨の記載があり、更に、同医師作成の「鱸久子氏の健康障害の公務との関連について」(前掲甲第六号証)には、原告の本件認定にかかる疾病について「主として加算機業務に起因し、その他の公務によって修飾された頸腕症候群とみなさるべきであろう。」との記載があるので、これについて検討する。

右甲第六号証によれば、吉田医師は原告の第四ないし第六頸椎に圧痛を認めている一方で頸椎レントゲン検査の結果には異常がないとしているけれども、庄司医師の「御返事」と題する書面(前掲乙第六号証)中には、前記二7認定のとおり吉田医師が診察する以前の段階で、レントゲン検査の結果、原告の第五頸椎に軽度の後棘の形成がみられた旨の記載があること、及び証人井上幸雄は、右甲第六号証について吉田医師は内科医であるから頸のレントゲン写真を見分する機会も少なく、吉田医師が後棘の形成を見落したか無視したかのいずれかであると思う旨供述していることに照らせば、レントゲン検査の結果異常なしとの吉田医師の右診断結果は必ずしも正しいとは認め難い。

また、原告の業務量についても、右甲第六号証は、相当過重であったとの推定を前提にしており、前記三、4及び五の当裁判所が推認したところと異なる前提にたっていると思われることに照らせば、前掲甲第五、第六号証中、原告の本件認定にかかる疾病が業務に起因するものである旨の記載部分はいずれも採用し難い。

7  ところで、被告は、原告の本件認定にかかる疾病の原因は、頸椎椎間板の変性であると主張するので、この点について検討する。

(一)  前記二、7、10で認定したとおりの庄司医師、吉田医師の診察結果(但し、甲第六号証中、後記採用しない部分を除く)によれば、昭和四五年四月当時、原告の第五頸椎に軽度の後棘の形成があった事実を認めることができ、右認定に反する前掲甲第六号証中「頸椎レ線検査にて異常なし」との記載部分は採用しない。

(二)  (証拠略)によれば、椎間板は一〇代の後半から血管が入り込まない組織となり非常に老化現象が早く起きる組織であること、特に頸椎については、常に頭を支えている上、可動域が非常に広いので、腰椎、胸椎に比べて加齢的な変化が早く起きること、鑑別診断のためには、頸椎レントゲン検査(正、側二方向、第一斜位第二斜位の斜位二方向、機能撮影として最大前後屈側面二枚、計六枚)が必須であること、頸椎の変形があると、その後棘が非常に大きい場合には脊髄または足の症状として出てくることもあるが、後棘がそれほど大きくない場合には、その後棘の形成されている箇所から出る神経根の刺激症状として現われること、第五頸椎と第六頸椎の椎間板に変性が生じると第六番目の頸神経を刺激することになるが、その場合、頸、肩、腕等に痛みが現われることが多いこと、レントゲンの所見に変形が認められる場合、必ず右のような症状が現われるとは限らないが、大多数の症例ではそれが現われること、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  更に、原告の症状の回復状況についてみると、前記二で認定したとおり、昭和四三年六月以来、加算機業務を離れ、同年六月二〇日から約三週間、昭和四五年一月から二月にかけて約一ケ月の病気休暇をとって療養している他、指導区分を受けて勤務制限をしているにも拘わらず、現在に至るまで、極めて長期にわたって症状が完全には消えていないことからも、業務以外の何らかの原因を疑わせる。

(四)  以上の点を総合すると、原告の本件認定にかかる症状の原因は頸椎椎間板の変性に基因するものではないかとの強い疑いがあり、業務以外に原因がないものとは認め難い。

8  原告は、川口税務署内において原告の本件認定にかかる疾病と同様の症状を呈する加算機業務あるいはボールペン作業の従事者が相当数存在することから、本件認定にかかる疾病と原告の業務との因果関係が推認されると主張するけれども、因果関係については、前記五、2及び3のとおり、個々の業務量に照らして判断すべきものであるから、右主張は失当である。

9  ところで、業務と疾病の間に相当因果関係があるというためには、業務が疾病のほとんど唯一の原因であることを要するものではなく、他に競合する原因があってもその業務が相対的に有力な原因であれば足りるが、業務がその疾病の単なる条件、即ちその引金になったにすぎない場合には、両者の間の因果関係を否定すべきものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、前記五、1ないし8を総合勘案すると、なるほど本件認定にかかる疾病は、原告が加算機業務を担当してからその発症をみたものではあるが、そこでの原告の加算機業務自体の作業量は、その一日当たりの打鍵数、発症までの日数等に照らし一般的に頸肩腕症候群の惹起原因となるほど過重なものであったとは認め難く、配置換により原告が加算機業務に従事しないようになってからも容易にその症状が消えなかったものであるから、原告の従事した加算機業務が本件認定にかかる疾病発症の引金になったことは窺われるけれども、その有力な原因とは認めることができず、本件認定にかかる疾病は、むしろ頸椎椎間板の加令的変性が主因ではないかとの強い疑いがあり、結局、原告の業務と本件認定にかかる疾病との間の相当因果関係を認めることはできないものというべきである。しかして、他にこれを認めるに足る証拠はない。

六  原告の安全配慮義務違反の主張に対する判断

1  国は、国家公務員(以下「公務員」という)に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解すべきところ、右の安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものである(原告の引用にかかる前記最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決参照)。

2  本件について、原告が、具体的に、被告の安全配慮義務違反行為であると主張する点について判断する。

(一)  原告の業種変更にあたって、適性、年齢、経験を無視したとの主張については、前記五、4(七)で認定したとおり、原告は、着任当時既に加算機の打鍵については経験を有していたこと、原告の管理第一係における業務は、前記三、1及び4において認定したとおりであって、本件認定にかかる疾病の原因となるほど過重であったとは認められないこと等に照らせば、原告を管理第一係の加算機担当者として配置したことが安全配慮義務に違反する行為であったと認めることはできない。

(二)  被告が原告に対して業務訓練、業務の有害性についての教育及び作業上の注意を与えることを懈怠したとの主張について検討するに、原告の加算機打鍵業務の性質、量を前提とすれば、前記五、4(七)で認定した以外に、特別に加算機打鍵についての訓練、教育、注意等を与える必要があったものとは認められないから、原告の右主張は理由がない。

(三)  吉田淑子が産休をとっている間、被告において加算機担当者の欠員を補充しなかった点が安全配慮義務違反であるとの主張については、加算機打鍵業務の担当割合が前記三、4(四)で認定したとおりであって、しかも、原告の業務量が過重であったと認められないことも既に前記五、4で説示したとおりであるから、右主張は理由がない。

(四)  被告が作業環境を整備しなかったとの主張については、前記四1、五4(五)で認定のとおり、本件認定にかかる疾病の発症原因となるほど作業環境が劣悪であったとは認められないから、右主張は理由がない。

(五)  被告が健康診断を実施せず、あるいはその実施が不十分であったとの主張について検討する。(証拠略)によれば次の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(1) 国税庁においては、人事院規則一〇―四第一二条に基づいて、国税庁職員健康管理規程を定め(この事実は当事者間に争いがない)、同規程により、健康管理者及び健康管理事務担当者として、国税局長及び国税局総務部厚生課長を指定し、その所属する職員に関する健康診断の計画及び実施並びに指導区分の決定、その他健康管理上必要な措置を行なわせていた。

(2) 川口税務署においては、原告に対し、一般定期健康診断として昭和四二年一一月二〇日、昭和四三年四月一八日、一一月二〇日、及び昭和四四年四月一一日に体重測定、胸部X線間接撮影、血圧測定、胃部X線撮影等を行なったが、いずれも異常がなかった。

(3) 昭和四二、三年当時は、右規程に基づいて設けられた特別定期健康診断実施基準においては、「筆耕、タイプ、速記等で書けいを起こすおそれのある業務に従事する職員」が対象として掲げられていたものの、せん孔・タイプ等の打鍵作業は掲げられておらず、右作業従事者については、昭和四五年六月二四日付けで特別定期健康診断を実施すべきものとされた。

従って、被告において、原告に対して特別の健康診断を行わなかったとしても、被告において当時定めていた実施基準に違背するものとはいえず、更に、原告の既に認定したとおりの打鍵業務量に照らせば、被告において原告に対して特別に健康診断をなすべき義務があったものとは認められないから、原告の主張は失当である。

(六)  原告は、被告が原告の本件認定にかかる疾病についての愁訴を無視して原告に就労を強制し、また、原告の主治医中村医師の意見を無視したと主張するので、この点について検討する。

(証拠略)並びに前記三の認定事実を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 昭和四二年一二月一四日に、原告は、中村医師から「頸腕症候群、背腰痛」と診断され、翌一五日ないし一六日頃、当時川口税務署管理課長であった川俣益課長に対して、腕が痛いので加算機担当業務から他の業務に配置換してほしい旨申し入れたところ、川俣課長は、直ちに原告の申入れどおりにはできないのでしばらく待つようあわせて、このような場合には医師の診断書を提出するよう答えた。

(2) 昭和四三年一月中にも、原告は何度か、同様の申入れを川俣課長に対して行なったが、その後はそのような申入れをしていない。

(3) 右のような配置換の申入れをなすに際して、原告は何ら診断書を提出しておらず、昭和四三年六月一九日に病気休暇をとる際に初めて被告に提出した。

(4) 確定申告期を中心とするその前後は、税務署として忙しくなり、職員が休むと周囲の職員に迷惑がかかるという雰囲気ではあったが、いわゆる当局側としては、健康に十分注意し、体調が悪い場合は医師の診察を受けるように指示していた。

(5) 原告は、昭和四二年一二月に二回、中村医師の診察を受けた後は、昭和四三年四月八日及び六月一八日に同医師の診察を受けただけで、この間通院していない。

右のとおり認めることができる。原告本人(第一、二回)は、被告が医師の診断書の提出を要求しなかったから診断書を提出しなかった旨供述しているけれども、右供述は、(証拠略)に照らし採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の認定及び右五において本件認定にかかる疾病と業務の因果関係について判断したところを総合すると、昭和四二年一二月一五日頃以降も原告が加算機業務に従事したことが、原告の症状に対して全く悪い影響を与えなかったとは言い切れないが、前記認定のとおり原告の打鍵業務が、本件認定にかかる疾病の発症の原因となるほどに過重だったものと認められないこと、原告が自ら配置換の申入れをなした際に診断書も提示せず、昭和四三年二月以降はその申入れも行なっていないこと等に照らせば、被告において積極的に原告の状態を調査して昭和四二年一二月ないし昭和四三年一月の段階で直ちに配置換を行なうべき義務があったものとは認め難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。

(七)  原告は、被告が、原告に対し指定医受診を強制したと主張するので、この点について検討する。

(証拠略)並びに前記二において認定した事実を総合すると次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、昭和四五年二月一九日から、三月末まで、中村医師の昭和四五年二月一六日付診断書の指示どおり、毎日、半日ずつの病気休暇届を提出して半日勤務をしていたのであるが、指導区分による勤務制限を受ければ、一々、病気休暇届を提出する必要もなく、周囲の理解も得られると考え、西川口税務署の原課長に指導区分の手続について問い合わせたところ、原課長は原告に対し、指導区分のことであれば、関東信越国税局健康管理医の天神医師のところに行って欲しいと答えた。

(2) そこで、原告は、同年三月五日、天神医師と会って、中村医師の昭和四五年二月一六日付の診断書を示し、指導区分を出してほしい旨申し入れた。

(3) 天神医師は、健康管理医として職員の病気について指導区分を出すための判定を行なっていたが、定期的健康診断外で診断された病気(私傷病)については、当該診断書に基づき、あるいはその患者の地域の公的病院に依頼してデーターを集め、これに基づいて判断していた。

(4) 天神医師は内科医であって、原告の本件認定にかかる疾病については専門外である上、頸腕症候群という病気はむずかしい病気であるという認識をもっていたので、中村医師だけでなく、神経内科という別の角度で診断を受けた方がよいと考えて、原告に東大病院の神経内科を紹介した。

(5) 原告は、指導区分を出して欲しいと思っていたこともあり、また、天神医師より原告のためになると言われたので、東大病院神経内科で受診することとし、三月二六日に、同科で庄司医師の診察を受けた。

(6) 原告は、昭和四五年三月二七日にも、中村医師により午後三時まで就業してよいとの指示を受け、これに基づいて、毎日、午後三時から五時までについて病気休暇届を提出していた。

以上のとおり認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定に照らせば、指導区分なしでも原告は病気休暇届によって休むことができたのであり、天神医師が原告に東大病院神経内科を紹介したことは、その経緯からみてそこでの受診を強制したと認めることはできないし、原告も自らの意思で同病院での診察を受けたものとみるべきであるから、原告の前記主張は理由がない。

(八)  原告は、被告が原告の本件認定にかかる疾病について公務上災害であることを否認し、レイノー病であるとかエノケンと同じ病気であると説明して原告を精神的に圧迫したと主張するのでこの点について検討する。

公務上災害であることの否認については、前記五で検討したとおり、本件疾病と業務との因果関係は認められないのであるから、被告が原告に対し、公務上災害であることを否認したからといって何ら違法とは認められない。

(証拠略)並びに前記二で認定した事実を総合すると次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、昭和四五年五月九日に、三島医師の診察を受けた後、五月一五日に同医師より診断結果について、同日付「御返事」と題する書面(乙第二一号証)の内容と同旨の説明を受けた。

(2) 原告は、右書面を天神医師のもとに持参したところ、天神医師は三島医師の診断結果について原告に説明したが、その内容は、レイノー病とレイノー的なところがあることとを混同し、またバージャー病(「エノケンと同じ病気」)とも混同した不正確なものであった。

右のとおり認めることができ、右認定に反する証人天神宏の供述部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の認定によれば、天神医師の原告に対する説明には不正確かつ不適切な点があったけれども、原告は、その前に三島医師より正しい説明を受けていること、天神医師としてもその専門外の分野に属する事柄であったこと等に照らすと、天神医師の右行為をもって安全配慮義務に違反するものとは認められず、また、天神医師の右行為によって、原告が、何らかの金銭的に評価すべき精神的損害を受けたものとも認められないから、原告の主張は理由がない。

(九)  原告は、昭和四三年七月以降の配置換が不適当であった旨主張するので、この点について検討するに、昭和四三年七月以降の原告の勤務内容については、前記三3において認定したとおりであるが、これが、本件疾病発症の原因になるほど過重なものであったと認められないのは前記五4(四)のとおりであるから被告において安全配慮義務に違反したものとは認められず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

3  結局、原告の安全配慮義務違反の主張は、いずれもその理由がない。しかして、他にこれを認めるに足る証拠はない。

七  原告の不法行為の主張に対する判断

1  本件認定にかかる疾病の発症を防止すべき義務に違反したとの主張に対する判断は、安全配慮義務違反に対する判断とは同一であり、原告の右主張は理由がない。

2  国家公務員災害補償法による補償手続に関して、迅速な認定、審査手続をなすべきであったのに、これを行なわなかったとの主張について判断するに、昭和四二年当時、人事院規則一六―〇第八条に、「実施機関は、その所管に属する職員について公務に基づくと認められる死傷病が発生した場合は、人事院の定めるところにより、その指定する職員にすみやかに報告させなければならない。」と規定されていたが、原告の本件認定にかかる疾病は公務との因果関係があるとは認められず、従って公務に基づいて発生したものと認められないことは前記五で認定のとおりであるから、昭和四二年当時、被告の職員において災害発生報告をなすべきであったとの原告の主張は理由がない。

3  国税庁及び人事院のなす認定、審査手続について、原告に攻撃防禦の方法を尽させなかった点、被告が公務上外認定の理由を原告に開示しなかった点、災害補償審査委員会の立入調査につき原告への事前の連絡を欠き、中村医師への質問が不十分であった点が、いずれも違法であるとの原告の主張について判断するに、国家公務員災害補償法及び同法に基づく人事院規則には、右の各行為を被告がなすべきであるという規定がなく、また、本件において被告が特に右の各行為をなすべきであったとの特段の事情も認められないから、原告の主張はいずれも理由がない。

4  また、原告に東大病院での受診を強制し、原告の医師選択の自由を侵害したとの主張については、原告が東大病院で受診した経緯は前記六、2(七)において認定したとおりであり、被告において右病院での受診を強制したものとの事実を認めることはできないから、右主張は理由がない。

5  結局、原告の不法行為の主張は、いずれも理由がない。しかして、他にこれを認めるに足る証拠はない。

八  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 根本久 裁判官 後藤博 裁判官高橋利文は転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 根本久)

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